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町のあんない

歴史

はじめに

「ならはって楢の木と関係があるのですか?」とか「ならは町ってどうしてならはという名前がついたのですか?」という質問がたくさん寄せられます。まず、最初に皆さんが疑問に思っている町名の由来について、お話ししましょう。

合併2年後、北田字下山根に建てられた庁舎(昭和33年)
 
合併2年後、北田字下山根に建てられた庁舎(昭和33年)
〈町の誕生〉
「楢葉町(ならはまち)」は昭和31年に木戸村と竜田村が合併して誕生しました。そのときの町の人口は、10,657人でしたから、今よりも多くの人が住んでいたことになります。 このとき、町名として、黄金町、大洋町、天神町、木戸川町、弥生町、日之出町など、たくさんの候補があがりましたが、最終的には「楢葉町」が採用されました。

〈町名の由来〉
「楢葉」という言葉は、古くは平安時代の書物に「楢葉郷」という地名として出てきます。その楢葉郷は、現在の木戸川・井出川周辺の地域といわれています。 人名では、この地方をはじめに治めた人物として、楢葉太郎たかすけという名前が『磐城資料』に見えます。 このようなことから、この地方に古くから関わりのある「楢葉」が町名として採用されたのです。

歴史のあらまし

それでは、楢葉町の歴史はどうだったのでしょう?

 
赤粉遺跡で確認された竪穴住居跡
赤粉遺跡で確認された竪穴住居跡
〈古 代〉
文献や文字のない時代について知るには、発掘調査によらなければなりません。町には107箇所に及ぶ遺跡が存在しています。縄文時代より前の旧石器時代と呼ばれる頃の石器も出土していますので、はるか1万2000〜3000年前にこの地にも人々の生活の足跡を見ることができます。縄文時代には、山所布、乙次郎、井出浜など広い範囲に遺跡が分布し、山の幸、海の幸に恵まれた生活をしていたことが想像できます。弥生時代の遺跡である天神原遺跡出土品は、国の重要文化財に指定され、弥生文化の実態解明に欠かせないものになっ ています。約1200年前の平安時代の赤粉遺跡、植松遺跡からはカマドをもった竪穴住居(土を掘りくぼめてつくった半地下式の家)の跡が50棟以上確認され、当時の集落の様子を知る大きな手がかりとなりました。

 
土塁、空掘が整然と残る天神山城跡
土塁、空掘が整然と残る天神山城跡
〈中 世〉
平安時代の終わりごろ、当地に来た楢葉氏はその後もこの地方を治めていましたが、室町時代中ごろには楢葉氏から磐城・猪狩氏へと変わり、 戦国時代には南の磐城氏と北の相馬氏の二大勢力争いに巻き込まれ、町にたくさんの城跡がつくられました。

 
江戸時代につくられた大堤(上繁岡)
江戸時代につくられた大堤(上繁岡)
〈近 世〉   
江戸時代、楢葉町には有力な藩がなかったので、磐城平藩の支配下に入りました。その後、江戸時代中ごろになると幕府支配となりますが、一部の地域では私領の支配を受けて明治期を迎えます。 江戸時代から、明治はじめにかけての村は、上繁岡・下繁岡・井出・波倉・大谷・北田・山田浜・山田岡・下小塙・上小塙・前原の11か村でした。この地名は、現在では町の大字としてそのまま生きています。

(近代、そして今)
近代国家を目指した明治政府は、明治8年に福島県を設置しました。楢葉町では明治22年に旧村が合併して、木戸村・竜田村となり、昭和31年にこれらが合併し、現在に至っています。



楢葉町の歴史のあらましについて、おわかりいただけましたか?

歴史や文化財に興味のある方は、下の写真をクリックしてください!歴史資料館へご案内します。

歴史資料館


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